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PGS+ GW臨時ラン
富士山ぐるっと
2001年 5月4日(はれのち曇り)/5日(曇り)

今回は本格的に走ろうということで、東京からスタートして富士山をぐるっと廻り、東京、神奈川、山梨、静岡の4都県をまたぐランに行ってきました。

1日目 コース
是政橋〜JR相原駅〜R413〜津久井町三ヶ木〜道志村〜山伏峠〜山中湖〜富士吉田市〜都留市
走行距離約110km

 第1集合の是政橋に向かおうとした矢先Oc氏から寝坊との連絡が入ります。いきなり聖跡桜ヶ丘でお茶となり、1時間遅れで第2集合相原駅でHy氏と合流。さらに交通量の多いR413を西へと向かいます。とそのとき、Hy氏が転倒し治療でさらにロスとなります。都合1時間半のロスとなり、山の登り口となる津久井町三ヶ木ですでに昼となってしまいます。
 さて、ここからは本格的な山道となります。ロードレーサーのOc氏、Ymが先行し、その後ろに24インチレーサーのKb氏、それからランドナーのFr氏、Hy氏が続き、ジワジワとした登りを進んでいきます。山梨県の道志村の入ると少しずつ勾配が増し、遅れた分ハラペコなので、一同黙々とペダルを回します。東西長い道志村も半分以上過ぎたところで、「道の駅どうし」で素朴なうどんと塩味の効いたおこわおにぎりを美味しく頂いて、いよいよ今日の最高点1100mの山伏峠への本格的な登りに備えます。
 山伏峠に入るとレーサーのOc氏、Ymが俄然先行しますが、パンクしたYmは残りのメンバーと登ることになります。峠の登りまでにかなり足を使っているだけに、決して急ではない登りでも応えます。やっとの思いで登り切った頂上は息が白く、その標高を実感させられたのです。
 トンネルを抜けると、あとは今日の宿泊地の都留までずっと下り。天気がよければ雄大な富士山を拝めるのですが、あいにくガスっぽくて景色はまったく楽しめません。寒さと日暮れが近いこともあって、とにかく下りを急ぎます。途中、富士吉田駅で初日のみ参加のKb氏を見送ったあと、日没と同時に都留のホテルに到着となりました。その夜は、大浴場のお風呂とお酒で疲れを癒して翌日に備えたのでした。


2日目
都留市〜(輪行)〜河口湖〜R139〜県道71〜上九一色村〜富士宮市〜県道72〜R469〜十里木高原〜裾野駅〜(輪行)〜東京
走行距離約70Km

 当初は、大月から北上し松姫峠を越えて奥多摩経由で帰るコースを予定していましたが、急遽富士山麓を走ることに変更となり、河口湖からスタートしました。
 交通量の多いR139から樹海の中の県道71号に入ると車も少なくなり、静かな森の中のサイクリングとなります。しばらく樹海の中の上り下りを繰り返すとやがてピークを迎え、そこからは15km近く続く爽快な下りです。景色も牛が草食む牧草地あり、緑のトンネルありとなかなか味わえない道なのです。かえすがえすも残念なのは、どんより曇り肌寒く、富士が見えなかったことです。
こうして下りを満喫したところで、アクシデントが・・・。Ymが転倒し、道路下にまっ逆さまに。幸いクッションのいい草むらだったので大事には至りませんでしたが、悪いことは今日も続くもので、今度はOc氏の自転車にメカトラ発生。リアのギアチェンジか不可能となり、フロントのみの変速を余儀なくされこれからの登りに不安がよぎります。
 R469にはいると、しばらくは静かで整備された森の中を進みますが、やがて細くうねった登りとなり、勾配も少し増します。さらに十里木高原へのきつい登りがはじまりますが、Oc氏はここまでの疲れもメカトラも感じさせない力強いダンシングで登りきってしまいました。他のメンバーも、青息吐息ながらも登りきり、あとは終着地JR御殿場線裾野駅までの10kmの下りを名残惜しく楽しみ無事!?今回のランは終着を迎えたのでした。

そのあとは、東海道線の車中ささやかな打ちあげとなり、それぞれ家路へとついたのです。

レポート: Ymでーした


参加者ひとり言
Hy:あれは2日間の出来事だったんだろうか?いろいろありましたが、久しぶりに、「走った〜」というランでした。今度は夏に、装備最小限でがんがん飛ばすランを行ってみたい。
Oc:一日に100kmも、しかも二日連日に渡って走るのは初めての体験でした。出発当日までは、どうなる事やら少し不安だったのですが、やってみるとなんとかなってしまうものですね。おかげで通勤片道「15km」という距離がとんでもなく近所に感じるようになってしまいました。コース途中に何箇所かある峠越えも、走りにメリハリをつけてくれて非常に楽しかったです。改めて、減量の必要性を痛感しましたが...
全体的に交通量が少なくて素晴らしいコースだったのですが、朝霧高原の長い下りは秀逸でした。開けた空の下、牧場の合間を縫って走った時はアドレナリン出っ放しでした。今度は雲一つ無い晴天の日に走ってみたいですね。
Ob:連休ラン、5月4日のみ、参加させていただきました。参加表明の後思ったのですが、メンツがPGSのヤングチ―ム(こんな表現も今ないですが巷に)なので、やばいかな、と。初日のみ参加とはいえ、100キロ超える行程を人間ドックで再検査かかっているような輩がついてって大丈夫かな?・・・案の定、キツカッタ。でもいいですね、道志ミチ。仲間とだから100キロもいける。
昔は私も中野のヘレラ(誰?)と呼ばれたときもあったのですが、いまは昔。機材に頼るか?

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